極楽せきゅあブログ

ときどきセキュリティ

狼のレクイエム

ADってプレから数えてもう何回になるんでしょうか。銀座の怪しい地下でやってた頃とか懐かしいなあ(遠い目)。あのときは、開始時間までまだ時間があったので、角っちょのスタバ?でコーヒー飲もって思って並んだら、目の前が高木浩光先生だったヽ(´ー`)ノ、とか。階段で並んでいたらしかPさん(そのころはまだ面識が無かったなあ)が慌てて階段を下っていったり、ああ、あの人が他力さんだなあ(何)、という人が人垣の交通整理してたりしていたっけ。
そんなこじんまりとしたイベントで、でも中身がとってもぎゅぎゅっと詰まっていて(bugtraq-jp以上にブッ飛んだUNYUNさんのネタは、一番眠いとこだったけどワクワクしたもんなあ)、おやぢ泣かせの夜通しで、椅子も無いっていう過酷な(笑)イベントだったのに、メモ取る手が止まらなかったもんなあ。
そのとき感じたワクワク感って、なんだったんだろう?
もちろんそのときまでにカンファレンスだセミナーだ、っていろいろ出かけていて、面白いネタもあるんだけどそれ以外は「ふーん」な軽い失望(意識はしていなかったけど)で終わっていて、モデルとかコンパニオンなおねいさんはたくさん居て華やかなんだけど、それだけだったもんなあ。そこに突然変異的にADなイベントが降ってきて、大げさだけどこりゃいよいよ黒帽やらデフコンやらの萌芽なのか!って思ったもんだ。
その後ADって順調に拡大していって、それが良いのか悪いのかはともかく、いろんな影響力を持つイベントになってきて、あとはそこから出てきたネタが教育講座やコースになってくればそりゃもう黒帽とかそのまんまじゃん、と思っていたんだけど、ふとしたご縁から最後の回にプレゼンやらさせていただいて、張り切ってノリノリで家族を(何)社会工学して(爆笑)ネタ作って、パネルとかにまで混ぜていただいたり、大きなムーブメントの中の端っこに居させていただいて、光栄でしたし本当に楽しかったですねヽ(´ー`)ノ。そういう場がもう失われてしまったということは、ただ寂しい。
わたしは以前に某甲子園というイベントを亡くしていますが、そのときは生まれる前の子供だったのでまだしも、立派に育っていたこういう(あえて言うと)真面目なイベントが、なんだってあんな半可通の記事が元で(いやもちろん、それ以前の原因があったわけなのですけど)「無期限休止」に追い込まれなければならないのか。ということに思い至ると、今度は悔しくなってきます。しかし、誹謗中傷から批判、そして無関心や要らぬ好奇心まで含めて、われわれ自身の反応が「無期限休止」というところに追い込んだ、とも言えるのではないでしょうか*1
いつか還って来て欲しいと思いますが、同時にあのイベントを失ってしまったということの意味をしっかり考えたいっすね。

*1:そんなこたぁねえよ、とお思いですか?