極楽せきゅあブログ

ときどきセキュリティ

AIアートコンテスト審査所感(SecHack365 2022-23シーズン)

AIアートコンテスト
というのを、今年度のSecHack365トレーニーが自力で開催した。すごい馬力。スポンサーもとってきたし、アーティストにも繋がって展示会もやったし。
で、そのコンテストで審査をやりました。アート好きだけどド素人(笑)。まぁでも考えることだけはできるかなって安易に引き受けました。
AIアートは過去の作品を裡に持つという意味では人間のアーティストと変わらないんだけど、人間のアーティストが好みや感覚で過去データをフィルタして学習・強化しているのに対し、AIアートはアウトプットを偏らせる人間の操作がなければ偏ったものは出てこない。学習する側が好みフィルターを持つ側と異なる存在である、というのが図式的な違い。なのでAIアートのエンジンはツールの立ち位置になる。そして人間がツールに言葉で指令し、言葉によって参照する過去のアート、イラスト、絵のデータをフィルタし、それ風のものを生成する。言ってみれば汎用型イラスト・絵の生成マシーンて感じ。
AIアートコンテストではそういうエンジンを使うことを前提に、言葉としてかなり難しい「セキュリティ」をテーマに設定した。そこから人間が何を想像するか。AIアートはツールなので、人間の想像を言語化したものによって絵を作る。なのでどうしても説明的になり、ステレオタイプになり、どこかで見たイメージになってしまう。その可能性をいかに排除して、偶発性含めておもしろいものを作るか。そのような志向のものをおもしろい、とするならば、言葉とエンジンの性質の関係性に関する認識が深くなければ、おもしろいものにはなりにくいのではないだろうか。もちろん、何をおもしろいとするかは人それぞれでもあるので、この文章での「おもしろい」という感覚は園田個人のもの、限定的なものであるかもしれない。まぁアートに心を動かされるかどうかなんて所詮は個人的なものだから(笑)、園田がおもしろいと思うものをどう作るか、そういうテーマになるし、そのようにしか語れないし審査もできない(と開き直る(笑))。(これが人間のアートならもう少し共通感覚によって評価が成立しているので、その感覚を磨いたプロが評価できる、そんな図式になるんだけど)
説明的ではない、ありがちでもない、説明しづらい感覚を生じさせる作品は一つだけあった。プロンプトは「壁に顔あり」ととても短いもので、エンジンのアップデートもちょくちょく行われている中でおそらく二度と同じモノは出てこないだろう、作品のコンセプトそのものも含む偶発性、ある意味超偶発性とでも言うべきか(笑)、その産物。パッと見とても怖く、ドキリとする。ボロボロで壁紙が剥がれそうな壁に、図式的でコントラストがくっきりとした、道化的な顔がのぞき窓を覗いているような作品。「ボロボロの壁」「耳ではなく顔」などなど、細部を見ると啓発啓蒙的な意味すら読み取れてしまう。不勉強なので人間の手による同様作品が存在するのかどうかは知らないが、過去データにないのだとしたらどうやって生み出されたのか。
そこまで考えさせるような作品だった。しかもゾクッとさせる怖さがピカイチ。こんなものを生み出せる、という意味で、AIアートエンジンはポテンシャルが凄いと感じるが、そのポテンシャルをどう「言葉で」引き出すのか。言葉のみを使っている限り偶発性への依存度が高くなってしまいそうで、絵筆としては心許ないようにも思う。そのことも含めて、今後が楽しみではあるけど。

もしかしたら、言葉を使って描かせている限り言葉が喚起するイメージを逃れられないとか、そういうことなのかもしれない。