極楽せきゅあブログ

ときどきセキュリティ

セキュリティが対峙するもの

人間の弱さ、かなあ。
人は弱いものだし、挫けるものだし、楽なほうを選ぶものだし、魔が差すものだし、目の前にただ金塊が転がっていて誰も見ていないとき、それをとらない人の方が珍しいだろう。
でも、だからといってそういう人の弱さに、「管理」することだけで対峙しようとしても全体として守れないものもあるのではないだろうか。弱いから、誘惑に負けるから、だからシステム上の一挙手一投足をすべて記録・監視しましょう、というのはひとつの方法。だけど、可能ならばその人の善い部分を助けるようなセキュリティが良いんだけどなあ。・・・甘すぎるかな?
でもそれは、人の「善さ」というものに依存してしまうわけではなくて、言ってみれば北風と太陽のように、「そもそもよこしまな考えを起こさないような仕組み。不必要に見せない、触れない仕組み。見たとして、誰がいつ見たのかくらいはわかるようになっている仕組み。その気になればいつでも(常時やっているわけではない、というところがポイント)記録を呼び出してきて指摘できるような仕組み。そしてそういう仕組みを回すことで、心理的防壁を作る」ってな感じの防御が理想的なのだけどなあ。