極楽せきゅあブログ

ときどきセキュリティ

発想するということ

いやーのんびりのんびり

http://blog.japan.cnet.com/kondo/archives/002281.html
はてなの近藤さんのブログを読んでいると、

これまでの新サービスがどういった状況で作り始められたかと振り返ってみると、それは1人の開発者が「新しいアイデアを思いついて思わず作り始めた日曜日」だったりするわけです。決して「業務に追われて忙しいオフィスでの昼下がり」では無いのです。であれば、それに似た環境を継続的に作ることで、アイデアが形になるきっかけを作れるのではないか、と考えました。

というフレーズがありますね。触発されて自分のことを振り返ってみると、新たなアイディアを得るためにいろいろしてることがあったりします。
あちきの場合はまず、歩いているときに発想を得ることがあります。あちきの場合音楽に反応する部分は発想している部分と重複しているような気がするんですが、発想を得ようとするときはだから音楽は聴きません。また、気が散りやすい性質なので、いつも通っている道でないとダメだったりもしますね。
歩きながら今の原稿やテーマ、お題などについて考えます。なるべく突飛な組み合わせを思考実験してみたり、テーマをばらしてみたり、そういえばこれってアレと似てるなあ、などという考え方をしていることが多いですね。ひとつの原稿にひとつの工夫、みたいなことはひそかに枠として自分にはめていたりするんですが、パーソナルな仕事に関するアイディアはそういう感じで考えることが多いですね。
他には、いろんな人とあるテーマについて話をしているときに発想を得ることもありますね。あちきはどちらかと言えば自分でテーマを探すほうではなですね。人から与えられたテーマ、人との話でやってみようと思うネタに対して反応する、という受動的な部分があると思っています。だから、外的な刺激があるような環境をいろいろと作り出していたりするんですが、話しているテーマに関して考えている考え方は、パーソナルなテーマについて考えているときと一緒だったりしますね。突飛な組み合わせ、ばらし、類似性の発想などですね。
また、アンテナとかの巡回ツールは便利ですし、メーリングリストもあるテーマに関して議論するにはいい仕組みだと思いますが、逆に、上記のような発想をするときには、思考を制限してしまう部分もあると思います。想定の範囲内というか、せいぜい想定のその外縁を拡張したエリアあたりまでしか発想が届かないというか。だから、新聞とか異分野異業種の話とか、異なる形態のメディアや異なる考え方に触れるようにはしていますね。
近藤さんが論じておられるのは、アイディアを実装するという、開発者の発想のエクステンションな部分だと思うんだけど、そもそもの発想を得る、というのはこういうことかなあ、とか思ったです。きっと人それぞれだと思いますけどね。