極楽せきゅあブログ

ときどきセキュリティ

小説が盗まれた、だから火をつけた

前置き:

記事タイトルの犯人の言葉に触発されてプロットを書いてみたけど、自分で小説にする気は無いのでこっそり公開してみようと思った。創作として後味が悪い小説(プロット)を書いてみたかっただけで、現実のあっしとしてはあの事件については犯人に憤りしかない。何てことしてくれたんだと思う。

プロット:
「死刑になっても良い」とうそぶく犯人。対して与えられた刑罰はユニークなものだった。自分が書いた小説のどこが盗まれたのか(盗まれてなかったのか)を専門家によって徹底的に分析し、それを犯人に解説し続けるというもの。犯人が書いた(書き終えていないものも含め)「小説」は正直駄作ばかり。どこがどう駄作だったのかと言うと、独りよがりな文章、いろいろ説明が不足しているなど技術的な欠陥もさることながら、最も致命的なのは展開が予想でき
すぎるのだ。簡単に言えば陳腐。どこかで見たようなものばかり。それを徹底的に突き付ける。最初は黙っていた犯人も、容赦のない指摘に半狂乱になったり、心を閉ざすような態度を採り、精神的には地獄のような責め苦であることがうかがえた。
しばらくして犯人は冷静になっていき、自分がしたことの重さを実感し始め、悔いを口にするようになる。ではこのあと君はどうするの?と問われると、罪を償いたいが、到底許されるものではないので、死刑になったとしても受け入れます、と、以前の「死刑になっても良い」とはかなり異なるニュアンスで言い始める。そして犯人は死刑になり、異例の早さで刑は執行される。
犯人の遺品から小説が見つかる。専門家の分析を延々聞かされていた犯人は、いつの間にかそれを自らの血肉とし、オリジナリティのある小説をものにしていたのだ。すいすい読める、ページを繰る手を止めない小説。この犯人が喪われることの文化としての意味はどうなのか?
さらに後味が悪いことに、疑問に感じた専門家が追跡調査をしてみたところ、犯人のプロットがアニメーションの原作者の目にとまっていた可能性があることがわかった。本当に盗まれていなかったのか?拙い技術や全体の出来の悪さ、そういうものに隠蔽されて、表に出てこなかっただけではないのか?あるいは、研究などではよくある同時多発的発想事象があっただけなのか?当事者のどちらも今はこの世に無く、これ以上の追跡は無理だ。